札の辻
Part1 >> 辻の札場(ちょっと惜しい?)
JR5EEK仙波さん撮影です。
とある書誌を見ておりましたら札の辻の記事が目に付きました。
全国各地に札の辻の標識が復元保存されていると思いますが、画像撮影されることがありましたらご紹介下さい。
松山の札の辻をご紹介します。
松山市本町、西堀端北詰めに名を残す「札の辻」は、藩政時代松山藩の布達(ふたつ)・制札が掲げられた高札場(こうさつじょう)であった。
交通の要地や繁華な市街地などに法令を掲示して、民衆に周知させた場所は、各地の交通の起点でもあった。
ここの札の辻も、松山から全国主要地への道程の起点となり、当時、松山から江戸日本橋までの距離は「二百十八里二丁三十九間」と公称されていた。
札の辻を起点に延びた街道沿いには、道路の方向や距離などを示すため、一里ごとに「里塚石(りづかいし)」が建てられていた。
現在も各地で「松山札の辻より何里」という石標を目にすることが出来る。
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参考に、日本国の道路元標添付します。(東京都中央区日本橋)
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滋賀県大津市の札の辻です。JJ3EKV原田さん撮影です。
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香川県高松市(de JE5NFL)・・・札の辻というものは、未だ発見できず(私の調査が不十分なだけですHI)
江戸時代、讃岐の街道として、
高松城の外堀にあった常磐橋(三越高松支店付近にあったようです)を起点とした
志度街道(〜引田),長尾街道(〜丹生),仏生山街道(〜仏生山),
丸亀街道(〜丸亀),金毘羅街道(〜金毘羅)
の五街道と
丸亀街道の国分から分かれて和田浜にいたる伊予街道があったそうです。
常盤橋の由来を書いた看板を探してみたが、見つからず・・・再開発工事の囲いの中に何かあったカモ?記憶は曖昧。
道路元標は、「八雲橋」という橋があったあたりに、ありました。
高松駅から南に延びる中央通りの分離帯の中に座ってました。
![]() 八雲橋、道路元標説明 |
![]() 八雲橋 |
![]() 道路元標 |
![]() 道路元標説明 |
![]() 八雲橋 |
![]() 道路元標 |
![]() 道路元標 |
高松市道路元標について(説明板より)
大正八年に道路の管理や建設などに関して道路法が制定され、香川における国道は、高松市を中心として徳島へ向かう二十二号と高知へ向かう二十三号、松山へ向かう二十四号があった。
当時は、各市町村ごとに道路の里程(距離)をはかる基準点として道路元標が定められており、高松市の道路元標は、この場所にあったらしい。
昭和二十七年には急激に成長した自動車交通に対応するため、道路法は全面改正され、それにともない国道の指定も変更され、元標は廃止の運命をたどり、現在となっては、記念碑的な存在となっている。
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